この話は、フィクションである。
3月下旬朝、この街のシンボルツリーが満開のころの話である。
国境には幕末の浪士たちが抜けた瀟洒な街がある。
この街に入るにはいくつもの峠を越えなければならない。
今日の話は、街に入る最後の峠にある古いトイレでおこったある切ない物語である。
なお、この物語には、お食事前若しくはお食事中のお方は、しばし時をずらして
お入りくださることをお奨めする。また、お気のお弱い方はご遠慮ください。
その日は、朝から激しい雨が降っていた。
すでに春季なのに真冬を思わせるような寒い一日だった。
此処のトイレは、暖かくて快適である。
とくに難産の我が身にとってはこのぬくもりは実にありがたい。
いつものように、快適長時間個室空間生活に満たされてついうとうとしていた。
入り口手前から3番目の個室を選んでいる。
突然、夢が途切れる。
バターン!
鼻歌まじりの、おそらくは若いであろう客が2番めのドアを閉じた。
ドアに「お静かに」とでも書いておけばいいのに・・・・・
鼻歌も、できれば演歌限定で・・・
彼のスマホが鳴った。
「はい私です、おはようございます。」
「・・・・・」
「すみません。もうすぐ着きます。」
「・・・・・」
「申し訳ありません。急いで参ります。」
「分かりました。いまxxxです。あと5~6分位だと思います。」
ボヤキがきこえてきた。
”頭くるな、課長のくせに独りじゃあなんちゃあようせんくせに・・・”
”俺が行かんと仕事にならんろうが・・・辞めちゃおうか・・・”
「おはよう。突然すまんが、この間の話じゃけんど、まだ雇うて
もらえるろうか?」
「今の会社を辞めることにしたき雇うてや?」

「・・・・・」
「いま、決めました。会社辞めます。お世話になりました。」
「・・・・・」
「課長のデスクの上に、辞表を置いておきます。」
また、眠たくなってきた。
トタン屋根を打つ雨音は、さらに激しくなってきた。
俺は、職場へ向かうことにする。
(写真は、幕末の志士たちの抜けた「脱藩の道」沿いで撮った)