「津野山古式神楽」
毎年11月、収穫も終わって、神に豊作の感謝を捧げる日。
かつては、年に一度の盛大なイベントに、地域の村人が
神社に勢ぞろいし、境内には、出店も沢山並んで大賑わいだった。
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昭和30年代、大戦の傷跡も徐々に癒え 少し落ち着きを取り戻したころの秋祭り(わが村では、 「神祭(じんさい)」という)は、こどももようけおって、境内は満員で、 そりゃあもう賑やかなもんだった。 |
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高度成長期に入った途端、働き盛りの若モンは、 村から、またたく間に消えておらんなった。 中学校を卒業したら、全国的にそうであったように その多くは集団就職で村を出て行った。 |
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おかげで、あっという間に過疎の村になってしまった。 こどももおらんようになった。賑わった神祭も、 年々質素になっていった。 |
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立ち見でいっぱいだった神楽も、 いつのまにか隔年開催になった。 |
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神楽の演目は、全部で18(多分)。 早朝から、夜遅くにかけて長時間舞いが続いた。
いまでは、全て演じられることはまずない。 |
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ときには、4~5演目くらいで終わることもある。 |
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この舞は、幼児の氏子入りの儀式。 神楽の予定がないときは、幼児の健康を祈ってこの舞だけ 特別に演じられることもある。 |
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この日は、8演目が奉納された。 地域出身の、懐かしい人たちも、かつてを偲んで 集まってきた。 |
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10数年ぶりに、神楽を撮った。 ちなみに、私事、この神社の氏子です。 |