5月1日。
若いころは、職免を得てメーデーの集会に参加していた。
今朝の、高知新聞に、夏でも春でもない「5月という季節」の話が
ちょこっと載っていた。今年も、そんな季節がやってきた、という感じ。
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耳が遠くて、少々ややこしくて口の減らない、しかしそれでいてどこか憎めぬ
むしろ、結構好感爺さんがいるんです。本日、やって来ました。フィクションです。
普通の声での会話では、一方通行になり「会話」が、全く成立しません。
なぜなら、恐ろしく耳の遠い彼の耳には、他人の話は、ほとんど聞こえません。
大声で話せば、それなりに聞こえはするのですが、それでも自分オンリー
の話に集中してしまいます。また、こんな会話では、個人情報の保護も秘密も
あったものではなくなります。訴えられても困ります。
したがって、秘密保持とお互いが通じ合うために筆談ということになってしまいます。
とこらがこのごろでは、面倒な筆談に、彼は、すっかり慣じんでしまって、挨拶のような
ふつうのことでも、
「分からんキニ、書けや!」 |
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「今日は、湿布薬はいらざったかよ?」
書いたとおりに、声を出して読み上げる。続けて、
「いらんことはないぜよ。医者が、書き忘れちょらあよ。」
患者さんの希望に沿って、処方医に問い合わせてみる。
医師曰く、「ご本人が、湿布薬はたくさん残っているので
不要とのことでした。」
”ご本人”に、筆談で確認すると、
「確かに、そういう話もした。まだあるき今回はいらんぜよ。」
何事もなかったかのように、爺さんは普通に帰っていきました。
2週間後、
「クスリAが、出ちょらんぜよ。」
復唱して、
「そりゃあ要るぜよ。無いと、たちまち寝れんぜよ。」
「先生には、残っちゅうきにいらん、言うたんじゃないのかよ?」
「そうそう、そういう話じゃった。今日は、いらん、残ちゅうき。」
このフィクション、写真とは無関係です。
写真は、山菜採りのご夫婦です。
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