2012年3月13日火曜日

四万十街道『ひなまつり』源流域編



前回は、梼原町から少し下流域だったので、
今回は、少し上流域。

尚、本日、予定通り福山市鞆の浦へ行ってきた。
鞆では、雨と寒さに祟られて、早めに帰ってきた。

津野町芳生野。
この地域の人たちは、たいへん仲良く楽し気に
『ひなまつり』している。
かつては、四万十川源流域のどこにでも見られた『流れ橋』だが、
現在では、ほとんどお目にかかれない。

じつは鞆の浦からの早めの帰宅は、幸運だった。
手持ち無沙汰に孫を連れて散歩がてら外に出た。
おかげで、近隣の素敵なおひなさまに出会うことに。
檮原町内、我が職場のすぐ近くの石油店にて。
余分な力みも無く、おひなさまが感じよく飾られていた。
シンプルに整理された背景のなか人形がより美しく見えた。
津野町郷。古民家の雛飾りを拝見しようとやってきた。

むかしは納屋。
さりげなく、手作りの二人が置かれていた。
入口の、センスよくお迎えの瓦のおひなさん。
さりげなく置かれたこの10人が、この奥に展開する深みを
予感させる。
伺えば、背景などもよく計算されておられるようで
人形のかわいい顔がより際立ってみえる。

孫は、遠慮会釈無く勧められたお菓子を食べいっている。
朱が、たいへんきれい。
胸躍らせて、古い門をくぐると、そこには期待を
遥かに超えたこの家の主のもてなしが待っていた。
見事な柱に誘われて上にと目を向ける。

もちろん立派な段飾りもあるが、うまく撮れないので
今回UPしていない。
主の夫は、眼科医だったそうで、ほとんど見えなくなっていた
老女の両眼を見事に復活させたそうな。この一対の抱き人形は、
その彼女の手作りで、治療のお礼にと贈られたものだとのこと。
馬小屋だったところ。
主の夫の父親も医師で、この家は彼の診療所だった。
この人は『赤ひげ』を地でいったようなお医者さんだった。
貧しい人に治療費を求めず、山道を馬に乗って往診したりと
現在では、想像もつかないような豪快なお医者さんだった。
私の父親は、たいへん懇意にしていただいていたので、私も
ご存命中は、ずいぶんかわいがっていただいたものだった。
左の方が、この家の主さん。
おひなさまの今年の公開は、本日で終わり、とのこと。
思い立って訪問したのだが間に合って幸運だった。
最後の訪問者が長居をして迷惑をかけてしまった。

3月11日、震災から1年。かつて4年間仙台に住んだ。
昨年は、毎朝一番に、新聞の犠牲者欄を見ていた。

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