前回は、梼原町から少し下流域だったので、
今回は、少し上流域。
尚、本日、予定通り福山市鞆の浦へ行ってきた。
鞆では、雨と寒さに祟られて、早めに帰ってきた。
津野町芳生野。 この地域の人たちは、たいへん仲良く楽し気に 『ひなまつり』している。 かつては、四万十川源流域のどこにでも見られた『流れ橋』だが、 現在では、ほとんどお目にかかれない。 |
じつは鞆の浦からの早めの帰宅は、幸運だった。 手持ち無沙汰に孫を連れて散歩がてら外に出た。 おかげで、近隣の素敵なおひなさまに出会うことに。 |
檮原町内、我が職場のすぐ近くの石油店にて。 余分な力みも無く、おひなさまが感じよく飾られていた。 シンプルに整理された背景のなか人形がより美しく見えた。 |
津野町郷。古民家の雛飾りを拝見しようとやってきた。 むかしは納屋。 さりげなく、手作りの二人が置かれていた。 |
入口の、センスよくお迎えの瓦のおひなさん。 さりげなく置かれたこの10人が、この奥に展開する深みを 予感させる。 |
伺えば、背景などもよく計算されておられるようで 人形のかわいい顔がより際立ってみえる。 孫は、遠慮会釈無く勧められたお菓子を食べいっている。 |
朱が、たいへんきれい。 胸躍らせて、古い門をくぐると、そこには期待を 遥かに超えたこの家の主のもてなしが待っていた。 |
見事な柱に誘われて上にと目を向ける。 もちろん立派な段飾りもあるが、うまく撮れないので 今回UPしていない。 |
主の夫は、眼科医だったそうで、ほとんど見えなくなっていた 老女の両眼を見事に復活させたそうな。この一対の抱き人形は、 その彼女の手作りで、治療のお礼にと贈られたものだとのこと。 |
馬小屋だったところ。 主の夫の父親も医師で、この家は彼の診療所だった。 この人は『赤ひげ』を地でいったようなお医者さんだった。 貧しい人に治療費を求めず、山道を馬に乗って往診したりと 現在では、想像もつかないような豪快なお医者さんだった。 私の父親は、たいへん懇意にしていただいていたので、私も ご存命中は、ずいぶんかわいがっていただいたものだった。 |
左の方が、この家の主さん。 おひなさまの今年の公開は、本日で終わり、とのこと。 思い立って訪問したのだが間に合って幸運だった。 最後の訪問者が長居をして迷惑をかけてしまった。 3月11日、震災から1年。かつて4年間仙台に住んだ。 昨年は、毎朝一番に、新聞の犠牲者欄を見ていた。 |
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