2012年4月29日日曜日

アッチッチー、

4月8日(日)の午後のこと。
今となっては遠い過去のお話。
開山四百年を迎えた『孝山寺(津野町高野)』の住職さんが
その記念祭開催にあたり、式典取材を、「自由にどうぞ」と
快く認めて下さったので、いささか無礼気味に迫ってみた。

『採燈大護摩供』(恥ずかしながら意味不明)
山伏装束の、多分由緒ある人たちがかねてよりセット
していた薪に火を点ける(”薪”は、失礼だと思う。)。
これは、火種になる。
これで、セットに点火する。

このような催事は、全く初めてのことで興味津々。
尚、この次に来る『火渡り』については、テレビで
何度か観たことがある。
不思議に、『火』というものは、人の心を
無条件に興奮させる、とそんな気がする。
参加者の願い事を予め書きしたためた板(これを
護摩というのかも)を火に投げ入れて成就を祈る?。

庭の中央のセットが勢いよく煙を排出しだした。
大きな炎を期待していたのだが、この人たちの狙いは
最初から煙だった様子である。
これほど煙ると、消防車が飛んで来るゾ、
事前に、届けている、らしい。
一見、正月の「どんどやき」風。
装束は古風だが、足元は革製の地下足袋風。

この頃では、とんとたき火なぞ見られなくなったが我々の
子どもの頃には、そこら辺りで人々が集まって暖を取ってい
た。子どもだけでも、とくに咎められることも無くたき火し
ておやつがわりの芋など食ったものだ。
煙には、健康へのご利益があるそうな。
浅草で煙を、肩や足腰にまた頭目耳などに
擦り付けていたあの情景と同じ。
煙が一体を覆ってしまい舞台は、いよいよ
幻想的になってきた。想定外の雰囲気に気分上々。
『火生三昧供』(分かりやすくいうと『火渡り』のこと。)
大護摩供の”残り火”の上を素足で渡る祭事。
願い事が叶いますように、と祈りながら渡る。

第一は、孫の健康。
祈腰膝痛改善?
ちょっと怖い。急いで渡る。
ぼくも、渡った。
お母さんは、職場のスタッフの友人で、
当方は、間接的な知り合い。
我が職場には、「ホラ吹き」がいっぱいおって、ガセホラは
いっぱい聞くが、ホントの『ホラ(法螺)』は初めて聴いた。

嘘つきのことを、ホラ吹きと呼ぶのは何故?
ホントのほら吹きさんに失礼ではないのか、などと
余計なことに憤慨しながら写真しているのである。
怖い『火渡り』も一度渡れば怖くない。

この次の催し、”餅まき”に備える人たちを尻目に
ちょっと疲れた、”古老のカメラマン”は秘かに退散ス。


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